石造塔婆

 日本は木塔の国、支那は磚塔の国、朝鮮は石塔の国といわれ、朝鮮半島の現存塔婆で量的にも質的にも豊富なのは石造塔婆である。その石材の多くは花崗岩が使用された。朝鮮半島では、石塔が伽藍を構成する塔婆として建てられた。

扶余定林寺復元模型
(定林寺博物館)
 三国時代(4~7世紀中)

      ~ 木造塔婆の様式を残す百済石塔と、磚造塔婆を摸した新羅石塔 ~

 『三国遺事』(1280年頃に成立)には、高句麗の平壌大宝山下の霊塔寺八角七層石塔や、金官国の虎渓寺の五層方形の娑婆石塔の記述があるが、現存はしておらず詳細は不明である。現存する三国時代の石塔は、百済の扶余「定林寺五層石塔」、益山「弥勒寺石塔」と、新羅の慶州「芬皇寺石塔」である。

 百済 の両石塔は、細部に木造塔婆の様式を再現している。すなわち、
  1. エンタシスをもつ石柱
  2. 斗きょうを表現した軒下の三段の持送
  3. 反りのある薄い屋根
  4. 柱や壁、軒、屋根を各々、別の部材を用い、組み合わせる  など、木造塔婆を模していることは明らかである。
 新羅 の芬皇寺石塔は前述のように石材で磚造塔婆を模した模磚石塔である。

百済の石塔 新羅の石塔

定林寺五層石塔(忠南 扶余)

弥勒寺東塔(全北 益山)

芬皇寺石塔(慶北 慶州)




 統一新羅時代(7世紀中~10世紀前)  

      ~ 始原様式から初期様式を経て、典型様式の成立 ~
始原様式
 統一新羅時代初期に建立された義城「塔里五層石塔」は、木造塔婆と磚造塔婆双方の特色をもつ。塔身部は木造塔婆に由来し、エンタシスをもつ柱を立て、柱頭に大斗を彫り出し、その上には頭貫にあたる部材が載る。また、初層塔身に設けられたは龕室の開口部は木造建築の形を摸している。一方、屋蓋部は磚造塔婆に由来し、上下面ともに段状の持送にしており、前述の模磚石塔の範疇でもある。この石塔を簡略化し、石材に適した形になったものが典型的な新羅石塔といえる。故に本塔は、三国時代の石塔とあわせて朝鮮石塔の始原様式といえる。
初期様式
 慶州「高仙寺跡三層石塔(686年以前)」、「感恩寺跡東西三層石塔(682年)」は、統一新羅の典型型式の初期的な様式を示す。基壇は二重基壇で、下基壇は比較的低く広く、束石は3柱、上基壇は狭く高く、束石は2柱である。初層塔身は、塔身は面石と隅柱は別石でつくり、エンタシスは見られない。柱頭の大斗や頭貫にあたる横架部など、木造塔婆に由来する細部は省略される。屋根面は一石でつくられ、軒下に五段の段状持送をつくる。
典型様式
 慶州「九黄里三層石塔(692~706年)」は、下基壇の束石が2柱に減じ、各層屋蓋部、塔身部は一石で四隅に柱形が刻まれるだけとなった。これが、韓国石塔の典型形式となり、8世紀中頃までには慶尚道一帯に拡大した。
始原様式 初期様式 典型様式

塔里五層石塔(慶北 義城)

感恩寺東三層石塔(慶北 慶州)

九黄里三層石塔(慶北 慶州)


      ~ 典型様式の装飾化と簡略化 ~

 典型様式が成立するのと並行して、塔身や基壇の表面に彫刻を施し、装飾化のすすんだ塔も出現した。8世紀後半には規模の縮小化、細部の省略化された塔が現れた。具体的には、基壇の束石が1柱に減じたり、軒下の持送が三~四段に減じた塔つくられたりし、この傾向は次の高麗時代にも継承された。

典型様式の装飾化 典型様式の簡略化

陳田寺跡三層石塔(江原 襄陽)

孝峴里三層石塔(慶北 慶州)


      ~ 特殊様式の出現 ~

 また、特殊様式の塔も建立された。慶州「仏国寺多宝塔」、「浄恵寺十三層石塔」、求礼「華厳寺四獅子石塔」、南原「実相寺百丈庵三層石塔」などは、後代の模作塔婆はあるものの、他に例をみないものである。


仏国寺多宝塔(慶北 慶州)

浄恵寺跡十三層石塔(慶北 慶州)

華厳寺獅子三層石塔(全南 求礼)

実相寺百丈庵三層石塔(全南 南原)




 高麗時代10世紀前~14世紀末)

      ~ 石塔様式の多様化 ~

 高麗時代には石塔は多様性、地方性を特色とし、典型様式、多角様式、復古様式、特殊様式に大別される。

典型様式
 高麗の典型様式の塔の特色は、前代の新羅の様式を継承しながらも、逓減が少なく、塔身は幅に比し背が高くなり、屋根の軒の反りが強くなっているために、全体的な外形は高峻だが安定性に欠ける。また、塔身石の下に別石が挿入されたり、この別石や基壇に蓮弁の彫刻が施された塔も現れる。一方、新羅の故地では、醴泉「開心寺五層石塔」のように新羅時代の特色を強く受け継いだものがみられる。
  
典型様式(高麗期の特色) 典型様式(新羅期の継承)

南渓院七層石塔(現 ソウル)

神覆寺跡三層石塔塔(江原 江陵)

開心寺跡五層石塔塔(慶北 醴泉)


復古様式
 かつての百済の故地に分布し、百済の古塔を摸したような塔で、屋根の形や、軒下の持送などに百済式の石塔の様式を示している。
多角様式
 平面が六角形や八角形のもので、層数が比較的多く、逓減が少ないと言う特色をもち、かつての高句麗の故地である朝鮮半島北部を中心に分布する。これは、八角形の塔婆が建立された高句麗との関連が推測され、復古的な要素と考えることができる。
特殊様式
 旧開豊郡「敬天寺十層石塔(1348年)」は、当時、高麗を服属させていた元の建築様式によって建立されたものである。和順「雲住寺多峰塔群」にも特異な塔がいくつか見られる。

復古様式 多角様式 特殊様式

庇仁三層石塔(忠南 舒川)

月精寺八角九層石塔(江原 平昌)

旧敬天寺十層石塔(現 ソウル)


青石塔(青石製石塔)
 粘板岩を材料とした塔で、その色合いから「青石塔」とよばれる。陝川「海印寺願堂庵多層石塔」は新羅時代の9世紀とされるが、この種の塔が本格的に流行したのは高麗時代になってからである。基壇は一般的に花崗岩でつくられるが、塔身と屋根は粘板岩でつくられ、その材質の制約により規模は小型である。

海印寺願堂庵多層石塔(慶南 陝川)

金山寺六角多層石塔(全北 金堤)


 朝鮮時代14世紀末~1910年)

      ~ 石塔建立の減少 ~

 朝鮮時代は、仏教が抑圧されたことを反映し、石塔の建立も少なくなった。そのため朝鮮時代の石塔は、前代の様式に追随した塔が建立され、新たな様式の成立をみなかった。

神勒寺多層石塔(京畿驪州)

廃円覚寺十層石塔(ソウル)

inserted by FC2 system