木造塔婆 

  木造塔婆は、早くから伽藍の中心として建立されことが寺院遺跡からも明らかであるが、
 現存する古塔は朝鮮時代に再建された法住寺五層塔がのこるのみである。

  ただし、近年に双峰寺三層塔(朝鮮時代に建立され1984年に焼失)が再建されたほか、
 木造塔婆あるいは木造塔婆様式の塔が数基、建立されているようである。

 三国時代(4~7世紀中)の高句麗、百済、新羅が建立した寺院遺跡には、木造塔婆の基壇、礎石等が確認されている。 

 高句麗 の木塔跡は5世紀代に創建されたとされる平壌の定陵寺、清岩里廃寺などにみられ、基壇の平面が八角形であることが特徴である。

 百済 の木塔跡は、6世紀中頃以降に創建された、扶余の陵寺跡、王興寺跡、軍守里廃寺、金剛寺跡や、益山の弥勒寺跡や帝釈寺跡などにみられ、基壇の平面は方形である。特に弥勒寺には九重塔が建立された。
 
 新羅 は、6世紀前半から伽藍が建立され始めたようであり、7世紀中頃に建立された皇龍寺九重塔は方七間の方形基壇と礎石を今に残す。


百済文化団地陵寺五層塔模型
(百済歴史文化館)

弥勒寺九層塔復元模型
(百済歴史文化館)

皇龍寺九層塔復元模型
(国立慶州博物館)

 統一新羅時代(7世紀中~10世紀前) の木塔跡は方形基壇であり、双塔跡が慶州の四天王寺、望徳寺、普門廃寺等にみえる。記録では望徳寺の塔は十三重であったと伝えられる。また、慶州の祇林寺や衆生寺などにも塔の基壇跡や心礎石などがのこる。

 高麗時代10世紀前~14世紀末) の木塔跡は、南原の万福寺や実相寺に方形基壇と礎石、開城の興王寺などに八角形基壇がのこる。いずれにしろ、これ以前の塔婆は現存しておらず、金属製の小塔などからある程度は推測できるものの、構造の詳細は明らかではない。

 朝鮮時代14世紀末~1910年) に建立された木塔として、俗離山の法住寺五層塔が現存する。日本の木造塔婆とは構造的に大きく異なる。



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