浮屠の造立
 
 「浮屠」は、「仏陀」と同じく「Buddha」の漢訳であるが、朝鮮半島では僧侶の墓塔を意味する言葉として使用される。材質は花崗岩を用いる。

  『三国遺事』には、唐の貞観年間(627~649)、三国時代の末期に新羅の円光法師の浮屠が建立されたとあるが、この時期の現存しておらず、実在は疑問視されている。建立年代が確実な浮屠として最古の例は、844年に建造された「廉居和尚塔」であり、その八角円堂型は、以後の統一新羅時代の浮屠の典型的な形である。
 八角円堂の高僧の墓塔は、唐代の8世紀中頃に造立された長安の草堂寺鳩摩羅什舎利塔が現存し、朝鮮の浮屠に影響を与えた可能性は高い。また、日本には木造の八角円堂として、8世紀の奈良法隆寺夢殿や榮山寺八角堂が現存し、後世の再建であるが興福寺北円堂が721年、南円堂が813年に創建されている。これらは、いずれも聖徳太子や藤原氏の菩提を弔うためにつくられた堂であったことも、八角円堂と墓塔との関連性をうかがわせる。
 9世紀以降にはじまる浮屠の造立には、唐よりもたらされた禅宗との関連が指摘されている。すなわち弟子たちが入寂した師を追慕し、顕彰するために舎利を収めた浮屠を造立した結果、浮屠の造立がはじまったとされる。
 禅宗がさかんとなった高麗時代にも優れた浮屠が多く造立され、仏教が抑圧された朝鮮時代でも浮屠の規模は縮小、簡略化されながらも僧侶の墓塔として造立は続き、現代に至っている。

唐の八角型舎利塔 新羅の八角円堂型浮屠 日本の八角円堂

鳩摩羅什舎利塔 (西安

廉居和尚塔 (現 ソウル)

法隆寺東院夢殿 (奈良)


 



浮屠の型式

八角円堂型
 
 浮屠の最も基本的な型式である。八角形を基本とする基壇部と、八角形の塔身部と、相輪部で構成される。浮屠の最古例である、新羅時代の「廉居和尚塔」もこの型式でつくられ、高麗時代にもこの型式による優作が多くつくられる一方、細部を簡略化した浮屠もつくられた。この八角円堂型式の浮屠の笠に注目すると、瓦や垂木を刻んだ木造建築の屋根を模しものと、瓦を刻まない石塔型の屋根をもつものに大別される。


廉居和尚塔
新羅時代 (現 ソウル)

双峰寺澈鑒禅師塔
新羅時代 (全南 和順)

鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔
新羅時代 (現 ソウル)

居頓寺円空国師勝妙塔
高麗時代 (現 ソウル)
 笠は木造建築の模倣
 現存最古の浮屠
 笠は木造建築の模倣
 現存する最も優美な浮屠
 笠は石塔型  笠は木造建築の模倣
 細部に簡略化がみられる




  
石鐘型
 
 インドのストゥーパの形態に最も近い覆鉢塔である。高麗時代からすでに「石鐘」の名称が使われていた。現存最古の蔚山「太和寺十二支浮屠」は新羅時代末期のものであるが、この型は高麗時代末期から朝鮮時代にかけて最も多く造立された。


神勒寺普済尊者石鐘
高麗時代 (京畿 驪州)

無量寺浮屠群
 (忠南 扶余)
 石積み基壇を上に築き荘厳化をはかる  各種の浮屠が群立する




特殊型
 
 高麗時代には、石塔も多様な展開を見せたが、浮屠も基本的な「八角円堂型」「石鐘型」とは異なるものが現れた。「浄土寺弘法国師実相塔」は八角円堂型式の基本形を継承しながら塔身を一石で円形につくっている。法泉寺智光国師玄妙塔」は、塔身だけでなく、基壇部、笠も方形である。「令伝寺址普済尊者舎利塔」は、通常の三層石塔と区別できない型式を持っている。


浄土寺弘法国師実相塔
高麗時代 (現 ソウル)

法泉寺智光国師玄妙塔
高麗時代 (現 ソウル)

令傳寺址普濟尊者舍利搭(東塔)
高麗時代 (現 ソウル)
 塔身が球形  方形平面の形態  層塔と同一形



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