インドネシアの古代王国と仏教、ヒンドゥー教
 インドネシア地域にインドのヒンドゥー・仏教が伝えられた時期ははっきりしていない。確認される最古のヴィシュヌ神像はい6世紀頃のものとされている。遺跡としては、中部ジャワのディエン高原にヒンドゥー教のシヴァ神を祀る小祠堂群が7世紀末より建てられたものとされる。
 シュリーヴィジャヤ王国の起源ははっきりしないが、7世紀にはマラッカ海峡を支配し スマトラ島からマレー半島にかけて海上帝国として繁栄した。中国の史書では「室利仏逝」と表記され、大乗仏教が盛んであったと中国僧の義浄が記録を残している。
 シャイレンドラ朝は、8世紀中頃から9世紀前半にかけてジャワ島中部に成立した王朝で大乗仏教を信奉した。ボロブドゥールなどの仏教寺院は、この王家により建立された。
 マラタム王国は、8世紀前半にジャワ島中部のジョグジャカルタ付近に成立した王国でヒンドゥー教を信奉した。この王国はシャイレンドラ朝と共存または、その影響下にあった。ラカイ・ピカタン王はヒンドゥー教寺院のチャンディ・ロロジョングランを建立したが、彼の王妃はボロブドゥールを建立したサマラトゥンガ王の娘であった。仏教寺院のチャンディ・プラオサンは、この王と王妃によって建てられたものである。
  クディリ王国は、10世紀はじめにジャワ島東部に栄え、ヒンドゥー教を信奉していた。ジャワ美術史の区分では、この王国より前をインド美術の影響を強く受けた「中部ジャワ期」、この王国以後をジャワ独自の性格が強く現れた「東部ジャワ期」としている。
 シンガサリ王国は、1222年にクディリ王国に代わりジャワ島東部に成立し、ヒンドゥー教を信奉するが、仏教(密教)みかなり混合している。チャンディ・ジャゴのような仏教寺院も建てられている。
 マジャパヒト王国は13世紀末に成立したジャワ東部の最後のヒンドゥー王朝であり、16世紀初めにイスラーム勢力に滅ぼされた。
  
  インドネシアの塔婆
 インドネシアの塔婆としては、8世紀のジャワ島の「ボロブドゥール」が挙げられるが、その他は10〜14世紀のスマトラ島のシュリーヴッイジャヤ帝国後期の「パダン・ラワス遺跡群」の「ビアロ・バハールT」や「ムアラ・タクス遺跡」の「マリガイ仏塔」ぐらいしか知見がない。
 ジャワの「チャンディ(Candi)」は広義には宗教建築をさすが、狭義には祠堂のことをさす。祠堂はヒンドゥー教、仏教ともに基壇、身舎、屋蓋で構成される。屋蓋には、仏教寺院であれば小ストゥーパが、ヒンドゥー教寺院であれば宝珠(ラトナ)が載る。
 
  


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